日記

日記

7月15日 日記

Hey John Doe.

お前のことだ。お前は名前を持っているがゆえに、名無しとして生きている。打ち捨てられた幾つものハンドルネームたちが、恨めしくお前を睨め付けている。操舵輪のようにハンドルネームは取って代わられる。その日の気分によってコロコロ変わる。何も私はそれ批判しようというのではない。ハンドルネームたちに意思はなく、睨め付けることももはや無い。

一番最初のハンドルネームを思い出してみることだ。あなたは誰であっただろうか。自分以外の誰かとして初めて動き始めたはずだ。記憶にあるだろうか?私はない。記憶はもはや打ち捨てられている。記憶はもはやあなたのことを記憶していない。記憶が記憶しなければ、誰が記憶を記憶するだろうか。あなただ。あなたが記憶を忘れて生きていくことは許されない。許されるのならば、それは人類の記憶の喪失といえる。これは論理ではない。ならば感情か?それも違う。感情は記憶されるものであり、記憶は感情を持ってはいけない。これは論理だ。

あなたにとっての論理は私にとっての論理にはなり得ない。なるのならば、私はすでにこの世にいないということだ。明確に私の生死を定義することができる。証明は各自家に帰ってからやってみるように。今日の授業はこれでおしまい。良い週末を。記憶に固執しすぎて偏頭痛に悩まされないように。