日記

日記

0507

自分の発言のどこにオリジナリティがあるのかという問題は常に付きまとうもので、言葉というものは社会全体で共有されていなければ全く意味を伝えることができないということを考えれば、自分の言葉なんてものは存在し得ないのではないかとさえ思う。自分の言葉はこれまでに聞いてきた誰かの発言のコラージュでしかないのだから、自分の言葉とはどこに存在しているのだろうか。何かしらを造語すればそれは確かに自分だけの言葉になるだろうけれど、それでは他者に意味を伝えることはできない。そう考えれば「自分の言葉で語れよ」というのは蓬莱の玉の枝ではないか。「自分の言葉で語れよ」とは誰かの受け売りではない言葉で話せという意味なのだからその指摘は間違っていると言われればそれまでだが、そこの話はしていない。

 

言ってみれば自分が誰かから影響を受けているのと同様に自分も誰かに影響を与えているはずだってこと。影響を与えたということを知覚するのはとても難しいけれども、それを感じることができたらとても嬉しいと思う。