日記

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8月1日 日記

衆人環視のなか大声で弱音を吐き出す力があるくせに、当人の前では縮こまって、勘違い甚だしいクソデカ感情に押しつぶされているのだからもう手のつけようがない。勘違いの感情にぐしゃっとされているのは愚か者の象徴だろうか?助けを求めて伸ばされた手は誰からも無視される。生きているのか死んでいるのかわからない腕など怖いに決まっている。名指ししなければ誰も助けてくれないことに気づけないままこの年まで成長してしまった。そうして優しい誰かが引っ張ってくれることをずっと待ち続けている。そばを通る人間はもう誰もいないのに。

 

そのクソデカ感情は錯覚だ。恋愛感情だと思い込んでいるようだけれど、優しさの概念に心地よさを感じているだけだ。当人とは一切の関係がない。人間そのものと切り離された概念に気持ちよくなっているだけだ。優しくしさえすれば着せ替え人形を好きにさせることもできるだろう。

何とか言ったらどうだ。

それは違うと言われてもお前には前科が多すぎる。神社にでも行ってお祓いをしてきてもらったらどうだろう。優しくしてくれた巫女さんのことを好きになるんだろうな。