日記

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5月17日 日記

嫌いな人間に好きなものを、別にものでなくてもいいが、をベタベタと触られているような不快感、この表現が正鵠を射ているかどうかはわからないがとにかくそれが今、手元にある。もしかしたらこれはただ、そこに嫌いなやつがいるということだけで発生しているのかもしれない。嫌いな奴の行動が嫌いなのではなく、その本人そのものが嫌いであるだけという可能性。とにかく今それが手元にあって、どこにも置くことができずに持ち続けている。もしそれが本としての形を持っているなら本棚の奥の方に詰め込んでおけばいいし、手紙の形をしているのなら燃やせばいい。私は手紙が紙に書かれている理由をいつでも燃やせるからだと思っている。とにかくこの感覚は手で触れられるものの形をしていない。ではどうすればいいか。私は既に答えを実行している。形を持っていないのなら形を与えればいい。文章という形式に落とし込んであげて、その文章をみんなが文章に対してしているように扱う。本棚に本を収めるように。じゃあ文章にみんながすることはなんだろう。書いたらそれで終わりな気がしてきた。実際に少し手元の感覚に変化が訪れている気がする。

 

ここに書いた嫌いな人間は存在しているかもしれないし、たとえ存在していてもこの文章を読むことは未来永劫ない。