日記

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0427

「光あれ」と神がいってこの世に光が生まれたのなら、言葉は光より前に生まれたことになる。もしかしたら言葉自体が光なのかもしれない。実際のところ『神は「光あれ」と言われた。すると光があった。』となっているわけだから本当にそうなのかもしれない。言ったときにはすでにあったのならば言った言葉それ自体が光だ。

 

考えてみれば類似点はある。言葉、つまりは音だが、は波で、光も、諸説あるが、波だ。光は闇の中で私たちの目に物が見えるようにする。言葉も、脳内の闇の中でものを浮かび上がらせる。マーコ・スタンリー・フォッグが目に見えたもの全てを盲目のトマス・エフィングに語ったことはまさにそれで、アメリ・プーランが老人の手を引いて街中を駆け回ったときにしたことも同じことだ。

 

強い光が闇を濃くするのならば、強い言葉は何をするのだろう。