日記

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10月18日 日記

 「また一年短かったね」とか「〇〇ヶ月ってあっという間だから」とかいうあれを好むことはできない。私は全くそうは思わないし、そう思ってるから短いんだろと思ってしまうから。でも、「秋が短くなっている」はわかる。人間たちの秋に対して求める温かさが変化してきている可能性はもちろんあるが、それにしても秋の日数は短すぎる。これはわかる。

 

 教訓を残すということこれは時に愚かに映り、自らのあまりの脆弱さに消えてしまいそうになる。過去を振り返ることはあまりにも痛みを伴う。ましてや自分のためではなく、まだ見ぬ他者のためとなればなおさらであろう。この世に残っている教訓はそれをいとわなかった人たちの勇気による。その勇気は誰かをまた勇気づけるだろうか?勇気は感染するに値するだけの力をその内部に保持しているのだろうか?どうでもいいや。

 

 日本語がわからなすぎて日本語を学習中の外国人に日本語を教えられた。日本語を英語で教えられた。何だったんだろう。自分の知らないルールが平然とまかり通っているような感覚だった。少し違う。意識していなかった、不文律として自らの内部に存在していた、文法としての日本語を明るみに出されただけだと思う。説明されればされるほどわからない、理解しようとすればするほどわからない。どうにも救いようのない、コールタールに嵌ってしまったサーベルタイガーどものように。もちろん。母語話者であることは文法を論理的に説明できる能力を必要としない。最低限教師たちはできていなければならない。たまに文法の崩壊を見せつけてくる教師集団もいるが、あれは何なんだろう。教師という存在自体が文法から外れている気もするが気のせいであることを心から願う。アウトローによる教育は暴力の時代だけでいい。すぐに来るだろうが。

 

 別途添付したファイルを参照してください。添付されていない場合は、その旨をファイルとして添付して再度メールをお送りください。こちら側で正当性を確認し次第、再度添付して送信いたします。正当性が認められない場合、しかるべき法的手段を用いて社会的地位の失墜を目的とした終わりのない戦いをここに宣言いたします。

 

ニヒリズムは多様性との食い合わせが悪い。