昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かゝって
完全な死体となるのである
寺山修司 『懐かしのわが家』
深海深く、たとえば光の届かない位置で泳ぐ魚。もし、湖がとても深く、底の方に光が届かないとしたら、それはそもそも湖なのか。
どうやら湖らしい。周辺を陸地で囲まれていて、5メートル以上の水深があればそれは湖と言って差し支えない。それよりも浅かったら沼になるとか言う話だ。マリアナ海溝よりも深い湖が欲しい。欲しいは少し語弊があるかもしれないけれど、大体そう言うことだ。どこかに存在していてほしい。
湖というとどうしても光り輝く水面のイメージがある。だからこそ、その湖に光の届かない底があってほしいと思ってしまう。摩周湖のように透き通っていて、それでいてなお、光の届かない底。
少しずつ水の冷たさが体に慣れてきて、目に届く光の量が少しずつ減っていく。体内の酸素も次第に減っていき、意識もだんだん薄れていく。湖の底にたどり着く頃には、光も、酸素も、意識も無くなって、完全な死体となった自分だけが残る。